スズレコードセンターで開催した企画「珠洲のアルバム」(2025年5月〜12月)において展示された写真と、来場者から寄せられた言葉を紹介します。
【飯田港の様子】

能登の観光ブームを背景に、多くの観光客を運ぶことを期待されて誕生したカーフェリー「かもめ」。船内にはビュッフェや娯楽施設が完備され、珠洲と佐渡を結ぶ船として注目を集めた。しかし、オイルショックなど時代の波に押されて、惜しまれつつもわずか3年でその役割を終えた。
「保育所の年長組「月ぐみ」で ”かもめ”に乗って佐渡に行くんです。佐渡に下りた記憶はないけど、フェリーに乗った記憶はあります。」
「すごい!」
【飯田港湾センター(のちの、さいはてのキャバレー)】

定期船などの待合室、レストランとして使用されていた「飯田湾港センター」。
1978年に航路が廃止されて以来使われていなかったが、2017年に開催された奥能登国際芸術祭にて、アート作品「さいはてのキャバレー」へ生まれ変わり、イベント会場や貸しスペースとして使われていた。
「2025.5.22記 佐渡島フェリー乗り場(さいはてのキャバレー)「震災遺構」として、遺ってほしい。※解体はもったいない。「思い出」が消えてしまう。」
【飯田劇場 】

1934年から1964年ごろまで開館していたそう。芝居小屋や映画館として多くの人々に愛された。
「当時、映画館がパンパンになった状態で観た作品はいったい何だったのだろう?」
「この隣に谷内商店(駄菓子屋)」
【当時の消防団の参列】

「昔、飯田小の上に火葬場があったような・・・そこに向かっているところかもしれない。消防団の長が亡くなったときの葬列。」
【飯田スメル館に集まる飯田小学校の児童たち】

「飯田スメル館」に、大勢の飯田小学校の児童たちが集まっている賑やかな様子を収められた一枚。当時の子どもの数の多さと、活気あふれる町の雰囲気が伝わってくる。
集団就職の出発式の写真ではないか?というお話もあった。
「飯田小、人数多いなぁ~!今は62人です。(全校児童) 現在、飯田小6年生です。2025年5月24日(土) まつりっこです!」
「昔の飯田小はこんなんだったんだー、すごい!現在 飯田小学校6年生です。2025 5/24(土)」
「すめる館」という映画館に集まっているらしいです。」
【当時の集団就職の様子】

集団就職ブームを思わせるワンシーン。高度経済成長期、珠洲からも多くの若者が夜行列車に乗って都会を目指した。紙テープを握りしめ、家族や友人との別れを惜しみながらも、新たな世界へ踏み出す姿が記録されている。
「中学3年生になると、求人帳のなかから好きな職場を選ぶ「集団就職」。レコードセンターが散歩ルートの途中なので、よく顔を出してくれるおじいちゃんは、当時珠洲を出たかったのと、おばあちゃんにたまに食べさせてもらっていた巻き寿司を思い出し、大阪の寿司屋を就職先に選んだそう。珠洲をバス数台で出発した後は、金沢で壮行会をして、夜汽車に乗って各地を移動した。」
「同じバスで小6のとき修学旅行に行った!飯田港から穴水までバス、穴水から蒸気機関車で金沢まで行って、卯辰山のヘルスセンターに行った。山の展望台からみた金沢の夜景が明るくて火事かと思った・・・」
【見送りの人々と紙テープで別れを惜しむ、集団就職の様子。】

「集団就職の1シーンかも。昭和35年前後に集団就職ブームがあった?」
【珠洲を発つバスの車内】

都会へと向かうバスの車内から、見送る家族を見つめる若者たちの姿。当時の人々の、期待と不安が入り交じる心情が写真から伝わってくる。
「リアルに「おら東京さ行くだ」と東京に出たおじいちゃん。15のとき、夜行列車で上野駅についた。大崎駅の目の前の工場でエンジンのギアかドリルの先の部品を作っていたらしい。実家のおばあさんが1人で田んぼをやるのが難しくなってきて、長男だったので、21のお盆に帰らされた。」